三上剛太郎(手製の赤十字旗)
エピソード
 青森県佐井村出身の医師三上剛太郎氏が日露戦争時の明治38年1月、満州へ軍医として従軍しました。
 厳寒の黒溝台三尖包に仮包帯所を設営し、負傷兵の手当をしていた剛太郎氏は、ミシチェン将軍率いる屈強のロシア・コサック兵に包囲され、全滅の危機に瀕しました。
 その時、剛太郎氏の脳裏には「ジュネーブ条約」が咄嗟に浮かんだといいます。
 三角巾2枚と赤い毛布を切り裂き縫い合わせた「手縫いの赤十字旗」は仮包帯所に高々と掲げられました。
 これを見たロシア軍は発砲攻撃を止め、囲みを解き去って行ったと言われています。
 激戦の中、ロシア兵1名を含む70余名の命を救った手製の赤十字旗には今でも薄らと血糊の跡が残っているように見えます。
 後に、この先陣の粗末な赤十字旗は、スイスやイタリアの赤十字国際博覧会に展示紹介され、各国に赤十字関係者から“世界の宝”であると言われました。
 現在、この旗は三上家より青森県支部に寄贈され展示されています。
三上剛太郎
 三上剛太郎氏は江戸時代から代々、青森県佐井村の医者をつとめた三上家の八代目の方です。
 地域医療に生涯を捧げ、亡くなるまで「仁」と「愛」の精神を実践され、80歳からフランス語を勉強し、90歳で原語を自由に読めるようになった努力の人です。
【三上剛太郎氏年表】
1869年(明治 2年) 11月15日 剛太郎生まれる。
1875年(明治 8年) 佐井小学へ入学する。
1888年(明治21年) 読売新聞社に入社する(社会部記者)
1894年(明治27年) 11月 医師を志し東京医学専門学校済生学舎に入学する。
12月 医術開業前期試験に合格する。
1895年(明治28年) 6月9日 医術開業後期試験に合格する。
6月29日 医術開業免許状授与される。
7月 帰村し開業する。
1902年(明治35年) 佐井村の村医になる。
1905年(明治38年) 1月7日 陸軍三等軍医となり第八師団衛生隊付きとして日露戦争に出征する。
1915年(大正 4年) 4月 帰村し開業する。
1962年(昭和37年) 6月 佐井村名誉村民となる。
1964年(昭和39年) 10月 剛太郎亡くなる。
刊行物
【よみがえれ 北の輝き】 【アニメビデオ ひるがえれ赤十字の旗】

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